16 8月

「人間の生きた証」

私にとって、歳の数だけでは生きた証にはならない。
自分の力で生きてきたのではなく、いかされて生きたと気付いてあゆんだ足跡の数が生きた証となる。
砂浜に残された足跡が自然の風で消えていく。大地の厳しさにある雑草や大樹(たいじゅ)が自然の風にさらされる姿がたくましい。
それが地下に張り巡らされた目にみえない根っこによって、しっかりと支えられ枯れることなく生きている。
そこから学ぶ私がいる。みえる証よりみえない証が自然体に生きる人間の根幹となると哲学する朝となる。